25歳でこの業界に飛び込み、10年以上経ったいまも最前線で戦い続ける一隼人さん。そんな半生を今回MYHOSで語ってくれました!やはり苦労なしにここまでの成功はないってことがわかります。
”にのまえ、おとこまえ”とこれまで幾度となく言われてきただろうけど、もう1度言わせてほしい「おとこまえ」と(笑)。35歳を超えてからの貫禄・色気が凄まじい!
【一 隼人】ターニングポイントになったイメチェン。3つの選択肢
モデル●一 隼人
ブラックすぎる美容院で2年間
出身は埼玉で高校卒業後は高田馬場の美容専門学校に行きました。卒業した後は渋谷の美容院で働くことになるのですが、そのお店は個人店ながら、雑誌などにもよく出ていていて、自分もいずれはカリスマ美容師として有名になれるかなと夢を見ていました。とにかく毎日が忙しく、ひたすらオーナーの指示に従って働いていたそんな時に店長から「給料が払えない」と急に言われたんです。
家も引き払い寮に入ることになったのですが、その寮というのは名ばかりで、ただのオーナーの家でした。オーナー家族と僕の変な共同生活がしばらく続き、たまに給料が支払われてもたったの8万円で、ほとんど無給のまま1年半が過ぎました。もはや自分の努力だけではこの生活は変えられないことがわかり、オーナーの留守を狙って夜逃げすることに決めたのです。オーナー家族が寝たのを確認して、友人に手伝ってもらい最後の荷物を運んでいる時に、帰って来る時間ではないはずなのにオーナーが帰宅。で、殴られました(笑)。さすがにほぼ無給で働かされ、しかも殴られたら、さすがにここにはいられないと正式に辞めることにしました。
25歳でホストになることを決意
しかし何もわからないまま挑戦することに
その後、バイトをしながらフリーターとなって3年が経過した頃、冷静になって考えました。25歳で借金も300万あるのはヤバいと。当時、男が稼ぐならホストの道しかなく、絶対にやりたくないと思ってはいたのですが、もう背に腹は代えられない状況だったので、思い切って飛び込むことに決めました。とはいっても、避けてきた道だったので何一つ知らない状態ですから、どうやったらホストになれるのかさえもわからず、とりあえず聞いたことのあるところに電話しようと、何を思ったのか店舗ではなくAIR GROUPの総合案内にかけちゃいました(笑)。でも丁寧にホストのことを教えてもらって、そこで1部と2部の存在を知ったのです。そこで聞かれたのが「ワイワイ」か「しっとり」だったらどちらが好きかと聞かれて、どうせだったらワイワイかなと。「それだったら2部向き」だと教えてもらい、桐生レイラさんのいたオールブラックに体入に行くことになりました。いま思えば、2部ホストとしての始まりはあの電話がきっかけなのかもしれません。
初めて足を踏み入れたホストクラブは驚きの連続で、とにかくレベルの高い人達ばかり。その光景に圧倒され “ここは未経験のまま戦う場所ではない”と思ったことを覚えています。オールブラックに行くことを諦め、渋谷で途方に暮れていると、目の前の派手なトラックが目に止まりました。それが冬月。当時はそこまで大きくはなく2部も1店舗しかなかったので、とりあえずフェイプラに体入にいくことにしました。オールブラックを体感した直後ということもあって、第一印象は「なんか質素だな」でした(笑)。
デビュー1年目は泣かず飛ばずの売上
3年目は幹部全員がグループTOP10入り
しぶなつさんたち上の人たちはカッコよかったんですけど、それ以外のキャストはそこまでレベルが高いわけではなかったし、人数も多くなかったので、ライバルが少ないここであればいけると思いましたし、なによりも即入店を決めれば3万円支給の文言にやられて(笑)、フェイプラに入ることに決めました。その日がちょうどしぶなつさんの昇格祭だったので大変でしたけど、美容師時代の2年間に比べたら何でもないし、先輩が優しかったのも決め手ですね。
1年目。掃除組はすぐに抜けられたのですが、泣かず飛ばずでそこまで売上を上げることが出来ずにいて、2年目は高額を飛ばれたりと制裁を受けたりしましたが、分店などでメンバーの入れ替えがあって慌ただしい年でした。そこで出会ったのが現:TOP DANDY -朝TOP-さんの三遊亭 翔太。2人とも同じ寮で早く売れたいね〜なんて話をよくしていましたが、特に熱く語っていたわけではないです(笑)。3年目には FATE -PLUS-がとんでもなく調子が良くて、最終日前に僕以外の幹部全員がグループのTOP10に入っていて、ちょうど僕が11位。1人だけ10位以内に入れないのはダメだと、最終日にまくれてなんとか滑り込みで10位になれたのですが、そのせめぎ合いは楽しかったですね。
松田翔太風にイメチェン
メディアでも取り上げられて人気UP
僕が松田翔太風の髪型にしたのは4年目。常々売れていない自覚があっただけに何か変化を加えないといけないと思っていた時期で、撮影でDプレの越前リョーマくんに会った時に「このままでは通用しない」と確信しました。それで朱美さん(早乙女ザスイーツ朱美)に、王道のジャニーズ系、流行りつつあった韓流風、似ていると言われていた松田翔太風にするか相談したんですよ。そしたら松田翔太風がいいとの解答だったので、締め日が終わったその日に、当時は誰もいなかった黒髪のセンター分けにしました。それでお店に出たら朱美さんから出た言葉は「本当にやってきたんだ」と無責任な言葉だったんです。ヒドいですよね(笑)。最初の1ヶ月は既存のお客様も抵抗があったようでしたが、2ヶ月目にはすっかり慣れてくれました。そして運良くメンズエナックルで大きく特集してくれたのが影響して、だんだんと名前を知ってもらえるようになってきた時に、朱美さんが「作戦通り」と言った時は腹が立ちましたね(笑)。
30歳を迎えた節目。実はホストを辞めようと考えていたんです。出勤も週1〜2日程度にして昼職を始めようと着々と辞める準備していた時に、朱美さんから新店を出す話をもらってその店に行くことになります。その時は既にお客さんが1人もいなく、0からのスタートだったものの、3ヶ月目には指名100本を達成することは出来ました。が、お店の調子は芳しくなく、結局お店を閉めることになり、同時にコロナショックが襲いました。復帰後はショコラ在籍になるのですが、発掘した叶迴がそこで1500万を叩き出したので、もう自分がいなくても大丈夫だと勝手に思ったんです。
長年お世話になった冬月にお別れ
新しいステージに選んだのは
32歳の12月に大きな決断をしました。それは長年お世話になった冬月を辞めること。別のステージで戦うことを決めて、どこのお店に行くかじっくり決めることにしました。いろんなところからお声がけいただき、最終的には視野に入れていなかったKGへ(笑)。天音社長からDMをいただいたのですが、唯一プレーヤーとしてだけではなく、先の話をしてくれたのが決め手でした。12月に冬月を辞めて、翌年2月に「RICH」に入店。将来的にお店を任せてくれるとはいえ、まずは結果を出さなければ話になりません。最終的には年間2位の成績で終わったのですが、言い訳をさせてもらうと2月スタートの結果なので、あと1ヶ月あればもしかしたらね(笑)。
同年10月の時点で箱が空いた情報が入り、天音社長からすぐにOPENするからと言われていて、予想よりもずっと早かっただけに嬉しさ反面、怖さ反面で、とにかく人集めを必死に行っていました。そして4月にOPENしたのが「VOGUE」。店売りも順調で、新店にしては出来すぎぐらい。成瀬湧也をはじめとした面々が加入してくれたこともあって、翌年にはグループで5位に入れました。そして昨年2月にはずっとやりたかった2部の「club IRIS」もOPEN。結構2部をやりたいホストが多かったのと、鳳峰イヴや黒犬一みたいな即戦力の加入があったのも大きいです。昨年はとにかく忙しくて、イカれたように働いていたように思います。35歳を超えてからが1番忙しいって、ホストってわからないものですね(笑)。
HAYATO HISTORY
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18歳
美容専門学校に入学
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20歳
渋谷の美容院に就職
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22歳
ブラックな美容院を逃げるように退社
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25歳
フリーター生活に終止符を売ってホストデビュー
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32歳
冬月を卒業しKGへ
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33歳
VOGUEのプロデューサーに
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35歳
club IRISがスタート
ショップデータ
店名 | VOGUE/club IRIS |
TEL | 03-6457-3822(VOGUE/club IRIS) |
住所 | 東京都新宿区歌舞伎町2-14-8 メトロプラザ2ビル 地下1階 |
ウェブサイト | https://kg-produce.jp/ |