インタビュー

【陸】お笑いの道を諦め、うつ病を克服して今の道へ[後編] CURE 

31歳でホストデビューとなった遅れてきたルーキーCUREの陸さん。前編ではお笑い芸人になるべく、教員への道を諦め吉本興業の門を叩くことに。しかし待っていたのは、自分の笑いの才能のなさだった。勝負のM-1 グランプリに出場するもそこには芸人としてかつてない地獄が待っていたのだ

 

▼前編はコチラ
ディズニーキャスト、お笑い芸人、そしてたどり着いた芸人[前編]

CURE●陸

空調の音だけが響く会場
忘れもしない2019年のM-1

 

その頃は既にお笑いに集中するべくディズニーのバイトを辞め、深夜のラブホ清掃や雀荘などのバイトで生計を立てつつ、時間あればネタ作りに励んでいたんです。そして新たに5人目となる女芸人とコンビを組み、忘れもしない2019年のM-1です。バイト先の同僚もわざわざ見に来てくれることになり、自信のあるネタで勝負することにしました。が、持ち時間の2分間、一度も笑いが起きず、ただただ空調の音だけが会場に響き渡るという地獄になってしまったのです。ものすごく恥ずかしくなってしまい、来てくれた同僚にお礼も言わず逃げるようにして会場を出たことは今でも鮮明に覚えています。さらに相方から「これで終わりだね」と解散宣告をされてしまいました。

再起を図ってピン芸人として
ワタナベエンターテインメントへ

この時既に28歳。ここで諦めればいいのに、僕は何を思ったかワタナベエンターテインメントに行くことにしたのです。それはピン芸人として花を咲かすため。人気ピン芸人を数多く輩出している事務所であれば、僕の面白さをわかってくれるし、手助けもしてくれるに違いない!と思ったから。もう周りが全く見えていない上に、まだ自分は面白い人間だと信じているから怖いですよね(笑)。そんなこんなで、ワタナベの養成所に借金をしてまで入り、これまで以上にお笑いに対して真面目に取り組むようになりました。メイド服を着てコントをしてみたり、フリップネタにも挑戦しましたね。けど、全くウケないのは変わらず…。

何をやってもウケない地獄のような日々が1年。お客さんを入れての卒業公演が間近に迫ってきました。その養成所での集大成みたいなものなのですが、最後のリハーサルで現実を突きつけられることに。それは全生徒(200人ぐらい)中、下から2番目という成績を叩き出してしまいました。さすがの僕もこの結果には打ちのめされて、ここ数年はお笑いに対して死ぬ気でやってきたこともあり、ものすごくショックで…。そして実家から一歩も出ない引きこもりになります。

お笑いを諦め引きこもりに

うつ病になり人と関わるのを避ける日々がしばらく続きました。けど、自分でもこの状況はまずいとわかっていたので、とりあえず自己啓発本や心理学の本を読み漁りました。気づけば部屋に入り切らない量になってしまい、そのうちブログなどで広告収入を得ようと考えるようになったのです。これでけ心理学の本を読んでいるし、人の悩みにも的確に応えられると思い、周りの人に相談事がないか?悩みを抱えている人を紹介してほしいと打診したのです。すると“ヤバい奴“だと思われたらしく、全員が僕から離れていってしまったのです。これにもかなり堪えましたね。もう死のうとさえ思っていましたから。

僕の周りから人がいなくなり、借金も膨れ上がって200万。いよいよ本当にヤバいと思って真面目に働こうと決意。借金は弁護士に相談し自己破産することになり、そのための費用50万が必要だったのもあるんですけどね。雀荘のバイトは性に合っていたことを思い出し、なんなら有名になって芸能関係に行けるのでは?と淡い考えを抱き近くの雀荘で働くことに。安月給でしたが仕事は順調で、毎月3万ほど弁護士に支払う生活が続きましたが、数カ月後に事件が。自己破産手続きの書類を親に見られてしまったのです。これで親とはこれまでにないほどの大喧嘩。ただ、30歳にもなってこれまで腹を割って話したことがなかったから、これを良い機会だと思い、お互いのことをとことん話すことにしたのです。

本当はお前なんてほしくなかった

姉が3人いて僕は末っ子の長男なのですが、家を引き継げるようにと母が男の子が欲しかったらしいですね。で、やっと生まれたのが僕だったんですけど、父は反対だったみたいで。それで話し合っている時に「本当はお前なんてほしくなかった」と言われわけです。さすがにこうまで言われてしまったら僕も引けず、最後は絶縁宣言をして、数日後に家を出ることにしました。

会社の上司のツテで、敷礼なしで住めるところを紹介してもらい一人暮らしがスタート。安月給だったけど仕事は楽しくて、お客さんからも好かれていたから。ようやく自分の居場所を見つけた気がしたのです。気持ちにも余裕が生まれてきたのもあり、これまでの人生をゆっくり振り返っていくと、これまでいかに自分本位で生きてきたかがわかってきたのです。周りの人間が僕のために動くのは当然だと思っていたし、周りの人間を使って、自分がどうしたら得になるかばかり考えて生きてきました。しかし、こうして雀荘で人に好かれていることを冷静に分析してみると、全て相手の事を想って仕事をしているからだとわかったのです。人から受け入れられるとはこういうことなんだと、30歳でやっと気づくことが出来ました。

仕事は順調でしたし、人間関係も良好だったのですが、そのうち欲が出てきてもっと稼ぎたいと思うようになりました。このまま歳を重ねても、ゆくゆくは目の前の上司みたいな生活止まりか…と考えてしまったんですよ。いや、その上司も十分な給料をもらっているんですよ。ただ、これまでの自分のクソみたいな人生を天秤にかけたら割に合わないなと思ってしまいました。そんな思いを密かに抱いていたある日、昔よく通っていた歌舞伎町のBARに1人で飲みに行くことに。

ホストのイメージが180度変わる
31歳でのデビューを決意

特に理由もなく、そのBARへなんとなく一人でフラッと行ったんです。カウンターに腰掛けて店員さんと他愛のない話をしていると、隣に男性が座ってきました。その人と話をするようになると、どうやら彼はホストであることがわかりました。これまで抱いていたホストとは全く異なって、清潔感のあるオシャレなお兄さん。よくよく見ると、高価なブランドものを身につけているし、極めつけは札束を持っていたんです。しかもその日は全て奢ってもらっちゃったんですよ。そこからホストの世界に興味を持ちはじめ、色々と調べていくと、昔と違っていまのホストは働きやすいし、今どきのカッコいい人が多くいることがわかったんです。正直、ホストは底辺の人がやるもんだと思っていただけに衝撃でしたね。

そして昨年の7月。31歳とかなり遅めですが、CUREでホストとしてデビューすることにしました。いくつか体入に行ったのですが、CUREの雰囲気が1番好きだったのが決め手ですね。とはいえ、何も知らない31歳の男がすぐにこの業界で通用するわけもなく、普通のスーツに身を包んだ31歳の男は4ヶ月間0組0万状態。それでも昔の経験から、まずは自分ではなく、まずはお客様最優先だということを考えてきたからなのか、11月ぐらいから徐々に売上を上げることが出来るようになりました。とはいえ、ホストとしてまだまだ。お店に貢献できているとは言い難く、当然ながらホストとしてもヒヨッコです。まずは1000万プレーヤーになることが直近の目標です。いずれは自分で会社を立ち上げたいと思っていますが、それはまだまだ先の話。まずはお客様第一を今後も優先していくだけ。

ショップデータ

店名CURE
TEL03-5155-2523
住所東京都新宿区歌舞伎町2-20-9 三経75ビル 7階B
ウェブサイトhttps://www.smappa.net/