インタビュー

【陸】ディズニーキャスト、お笑い芸人、そしてたどり着いたホスト[前編] CURE 

10〜20代からホストを始める人が多い昨今だが、31歳にしてこの業界に飛び込み、半年後にはナンバー入りを果した陸さん。遅れてきたルーキーがホスト業に辿り着くまでには様々な紆余曲折があった

CURE●陸

教員を目指して大学に進学
いつの間にか目標がお笑い芸人に

生まれは神奈川で高校は進学校へ。英語が元々好きで、学校生活を送っていくうちに、自分も英語の先生になりたいと思うようになりました。教育者を目指し、青山学院大学に入学することになるのですが、3年生の頃に行った教育実習で「自分は教える側でない」ということに気づいてしまって。そうなってしまうと教育者としての熱が見事に鎮火してしまったんですよね。ただ、親は教育者になるものだと思って学費を出してくれているだけに、なかなか言い出せずに4年生に進級。同時に中学生の頃から密かに抱いていた”お笑い芸人“になりたい気持ちが再熱してしまったのです。

親に大学を辞めてお笑い芸人になりたいと告げた日。当然ながらかなり怒られ、特にお笑い芸人については大反対されました。行く意味を失ってしまった大学は単位が足りずに留年することになるのですが、5年目も留年してしまい、さすがに親に「卒業だけはしなさい」と。何百万も使ってきて親からしたら当然ですよね…。で、僕も仕方なくといったらアレですけど、卒業できるギリギリの単位は取得するようにしたのです。学校以外の時間はバイトに明け暮れる日々が続きました。

大学6年目の24歳で卒業。お笑い芸人になる夢は諦めきれず、吉本に入る決意を固めました。しかし養成所に入るには40万が必要で、それまでのバイト代なんてあるわけもなく、さらに親の支援もないので、1年間はとりあえずお金を貯めようと、ディズニーバイトをすることにしたのです。実家の神奈川から往復4時間かけて夢の国へ…。

ディズニーバイトは順調
芸人としては最下層

1年間限定のつもりが、気づけば4年働くことになるのですが(笑)、本当に楽しく働かせていただきました。単純に人が喜んでいる姿が好きなんですよね。それに僕のアナウンスで子どもたちが目をキラキラさせて楽しんでくれているなんて最高でした。バイト1年目で40万は貯まったので、養成所には25歳から通うことに。ただ、バイトが楽しくてお笑いの方に本腰を入れられていなかったのは間違いないのですが、相方を作ってもすぐに振られてしまい、いつも原因は「お前の作るネタはつまらない」というものでした。当時の僕は、逆に「俺の笑いを理解出来ないのか!」と尖っていたんですけどね(笑)。結局、養成所の日々は辛く厳しいもので、楽しいバイトの合間に通う感じになってしまったんですよね。

1年間の養成所期間を終えて、晴れて吉本興業に入社することなりまた。その時コンビを組んでいた年下の井上くんとは1年ぐらい続くのですが、よく練習していた新宿の中央公園で「絶対に笑いで天下を取ろう!」なんて夢を語っていましたね(笑)。ただ、夢だけは大きく結果が全く出ない。いま思えば、僕には笑いの才能が全くなかったのでしょうね。ネタをいくら作っても一向にウケず、でも「いつかは自分の笑いをわかってくれる人がいるハズ!」と、スタンスは一切変えずに、間違った方向に努力を重ねてしまうのです。僕の作るネタに一切文句を言わず、何でも言う通りにしてくれていた井上くんもさすがに愛想が尽きたのか振られてしまいます。でも、自分が圧倒的につまらないことを棚に上げ、周りが付いてこれていないだけだとまだまだ尖り続けるんですよ。つまらない上に人の話は聞かない…同期どころか先輩にも可愛がられず、なんなら先輩の芸に対してダメ出しすらしていました。あらためて思い出しても本当に当時の僕はクソですね。そのうち劇場でも自分の居場所がなくなってきます。お客さんの前でエピソードトークを披露することが度々あったのですが、最初は自分も話していたんですね。ウケたことはなかったのですが(笑)。で、ある日同じような場面があって、僕だけしか手を上げていないのに指されなくなってきたのです。

ショップデータ

店名CURE
TEL03-5155-2523
住所東京都新宿区歌舞伎町2-20-9 三経75ビル 7階B
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